斎藤理玖ちゃん

2014年6月24日 日常
今、試験の為にレポート作っている最中だけれども、ネットで色々調べているとふと理玖ちゃんの事が頭に浮かんできて、その後どうなったのだろうと気になり検索してしまう。


ここの所、何をするにも斎藤理玖ちゃんの事が浮かんでくる。
ネットであちこち理玖ちゃんの写真がないか探していたら、どこの誰かがTVから撮った画像をアップしてくれていた。人懐こそうなぷっくりした頬っぺたをした子だった。お父さん似かなと思った。
この子はパパとママを恨むことも知らずに、真っ暗の中に一人放っておかれている事を恐怖と退屈と空腹と喉の渇きとおむつの気持ち悪さと、暑さ・寒さ全て独りで受け留めて亡くなっていったんだなと思うと、日常の何気ないことにふと感謝の気持ちを持ってしまうと共にそれを気づかせてくれた理玖ちゃんに感謝と偉大さを感じてしまうよ。君はそんなにも小さくて幼いのにね。
海外からだと、掲示板に投稿を拒否されてしまう所もある。でも、今回の事件は、何か心に響くものがあった。厚木なら、日本へ帰ればそんなに遠くはない。恐らく来年になってしまうと思うけれど、一度アパートへ訪れてお供えをしたい。理玖ちゃんの魂は今でもどこかで自分をしっかり受け留めて世話をしてくれてかわいがってくれる魂を探しているかもしれないね。ちゃんとお墓を作っていつもお花や食べ物・飲み物をお供えしてあげないと。どんな小さな、おせっかいでもいいから、回りの人に気をかけて、小さな事でもいいから動いて働きかけていかないといけない。私は理玖ちゃんの事を忘れないしこれは風化させてはならない。誰も助けてあげられなかった状況がとても無念だし、そういう今の環境を作り上げたのは大人たちなんだと、うまく社会も機能していなかったんだと君は教えてくれたんだよ。


下の子が5歳だった時、私のアカデミー生活が始まった。
自分の事に一生懸命になってしまい、子供の事が疎かになった。
何もしない母親だったけれど、食事の事とお風呂と洗濯、最低限の学校の宿題は気を遣っていた。後は上の子がアイロンかけしてくれたり、おつかいに行ってくれたりし助けてくれた。私の中で、何はなくとも大事だったのは、『ごはん』だった。それがどんなに疎かなものであっても、火を使って料理したものを何か出す、栄養にとりあえずは注意する、のが5年間の信条だった。

幸い、子供たちもできていた。何もできない私だったので、特に下の子には手をかけてあげられなかったから、その分、とてもかわいがった。しっかり抱きしめて、一緒にふざけて、笑って。10歳になって背が伸びて、そろそろ私を追い越しそうな勢いで成長していても、今でもベッドで抱き合って(イタリア式)チューを頬っぺたにして、娘も『ママ、大好きだよ!』と言ってくれる。教科書のエルフを音読した時に出てきた台詞、『エルフ、ずっとずっと大好きだよ。』を覚えて私に使うのだ。


二度と、理玖ちゃんのような事が起こってはならない。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索