3月に基礎課程の学位を取れない事が半ば決定してしまった。
これで、11月から2月までの専門課程の授業の出席はなかったものとみなされ(3月に学位がとれた場合に専門課程での活動が認められる)、7月の学位論文発表までアカデミーへ行っても意味がなくなってしまう。結局、来年の11月の新学期からやり直しということになってしまいそうだ。
今、ここのファッションデザイン科が移転することになり、本当は今年からだったのだが、準備に手間がかかり今の所、現在の場所で授業を行っている。
私は、ここが他に移転したら、家庭を抱えているので続けられない可能性が出てしまう。
ファッションデザイン科の学科長が心配してくれた。
3月に学位をとれない場合について質問すると、複雑だと返答した。
ファッションデザイン科の事を一番良く知っているのは学科長だから。
しかし、私の論文担当教官は、既に無理と会うたびに私に何度も言うため、私はやる気を失いかけている。
3月が駄目なら7月が論文発表になるが、『私は2月までは来るけれど、3月からは授業がないから来ないから。』と言われた。
つまり、実質的に、私が7月に論文発表したいのなら、担当教官をかえなさい、という意味だ。
なんでこんなに複雑なのかなとここ2週間くらい考えたが、先生も割りと気持ちが固いらしく、恐らく引かないだろう。
最初は、言葉の壁だけでなく、私は文化の壁を乗り越えられなかったんだと思い、これからの先行きの事を考えここで生きていくことすらも不安になったり、泣きたいような心境になった。
ここ数日、少し冷静になり、専門課程への進学を断念せざるを得なくなるかもしれないことも少し現実的に受け止められるようになった。
一番くやしいのは、私はファッションデザインの科目では3年間、Lodeを取り、人と違う視点や発想を服を通して表現してきたのに、その機会が奪われてしまったことだ。
今、私がやっている事は、日本語→イタリア語の翻訳作業。ここは、『イタリア語講座』ではないのに、肝心のデザインで評価されず、イタリア語のレベルで卒業できないのは残念だ。たった一ヶ月で、私が一般の大学まで教育を受けた普通のイタリア人のようになるのは無理だ。イタリア人自身だって、一月じゃ素晴らしいイタリア語を使えるようにはなれないだろう。
もう、アカデミーに行っても行かなくても私の出席日数は無いも同然なので、専門課程の授業に出るためにアカデミーに行くのはやめた。
振り返ってみると、3年間、よく頑張ったと思う。手前味噌だが、能力的には専門課程に行けるし、他の人より良いものを作れる自信もあるし、他の先生達数人にも期待されているとも思うけれど、残念ながらこういう結果になってしまいました。
なんとなくだが、私は先生のジェラシーを買ってしまったようだ。
何に?と不思議なのは私だ。
私はアカデミーの中で初めて学位に挑戦する東洋人だ。
色々な面で、今までと勝手が違って先生もやりにくいのだろうが、もう少し視点を変えて前向きに考えてくれればいいのにと思う。
他の先生を選んだ同学年の生徒達は、先生に助けられて着々と進めているのに。
これで、11月から2月までの専門課程の授業の出席はなかったものとみなされ(3月に学位がとれた場合に専門課程での活動が認められる)、7月の学位論文発表までアカデミーへ行っても意味がなくなってしまう。結局、来年の11月の新学期からやり直しということになってしまいそうだ。
今、ここのファッションデザイン科が移転することになり、本当は今年からだったのだが、準備に手間がかかり今の所、現在の場所で授業を行っている。
私は、ここが他に移転したら、家庭を抱えているので続けられない可能性が出てしまう。
ファッションデザイン科の学科長が心配してくれた。
3月に学位をとれない場合について質問すると、複雑だと返答した。
ファッションデザイン科の事を一番良く知っているのは学科長だから。
しかし、私の論文担当教官は、既に無理と会うたびに私に何度も言うため、私はやる気を失いかけている。
3月が駄目なら7月が論文発表になるが、『私は2月までは来るけれど、3月からは授業がないから来ないから。』と言われた。
つまり、実質的に、私が7月に論文発表したいのなら、担当教官をかえなさい、という意味だ。
なんでこんなに複雑なのかなとここ2週間くらい考えたが、先生も割りと気持ちが固いらしく、恐らく引かないだろう。
最初は、言葉の壁だけでなく、私は文化の壁を乗り越えられなかったんだと思い、これからの先行きの事を考えここで生きていくことすらも不安になったり、泣きたいような心境になった。
ここ数日、少し冷静になり、専門課程への進学を断念せざるを得なくなるかもしれないことも少し現実的に受け止められるようになった。
一番くやしいのは、私はファッションデザインの科目では3年間、Lodeを取り、人と違う視点や発想を服を通して表現してきたのに、その機会が奪われてしまったことだ。
今、私がやっている事は、日本語→イタリア語の翻訳作業。ここは、『イタリア語講座』ではないのに、肝心のデザインで評価されず、イタリア語のレベルで卒業できないのは残念だ。たった一ヶ月で、私が一般の大学まで教育を受けた普通のイタリア人のようになるのは無理だ。イタリア人自身だって、一月じゃ素晴らしいイタリア語を使えるようにはなれないだろう。
もう、アカデミーに行っても行かなくても私の出席日数は無いも同然なので、専門課程の授業に出るためにアカデミーに行くのはやめた。
振り返ってみると、3年間、よく頑張ったと思う。手前味噌だが、能力的には専門課程に行けるし、他の人より良いものを作れる自信もあるし、他の先生達数人にも期待されているとも思うけれど、残念ながらこういう結果になってしまいました。
なんとなくだが、私は先生のジェラシーを買ってしまったようだ。
何に?と不思議なのは私だ。
私はアカデミーの中で初めて学位に挑戦する東洋人だ。
色々な面で、今までと勝手が違って先生もやりにくいのだろうが、もう少し視点を変えて前向きに考えてくれればいいのにと思う。
他の先生を選んだ同学年の生徒達は、先生に助けられて着々と進めているのに。
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