昨日はアカデミーで私の論文担当教官と会った。
会うなり、『あなたは本当に3月に学位を取る必要があるの?』と数回訊いた。
私としては、『もちろん。』と答えたい所だったが、現時点の段階では無理かもしれない可能性もあるので『そういう理由がある、と言うわけではありませんが。』と答えるしかなかった。
後で、話を知っている日本オタクの子が、
『基礎過程の学位がとれないと、専門課程の試験は受けられないよ。専門課程放棄するの?』
と訊いてきた。私もそれを心配している。でないと、専門課程をもう一度、一からやり直しになるかもしれない。当然、現在、専門課程として通っている学費は、基礎課程をもう一年繰り返したという意味で、基礎課程分として支払うことになる。
論文の担当教官が他の生徒や先生達の前で繰り返すので、昨日はファションデザイン科の学科長も心配しているようだった。
学科長が一番アカデミーの事はわかっているから。
他の生徒達は穏やかな先生について、今、論文書きに集中できているというのに、この先生はなぜもこうヒステリックなのか。心配しているんだろうなと思うし、責任感も強いのだろうけど、生徒のやる気を削ぐような事は謹んで欲しい。そもそも、あまり私の指導教官を引き受けるのは気がすすまなかったのかもしれない。そんな気がする。
極東にある国で日本の事がよくわからないせいもあるだろうし、言葉の壁の問題もあるし、先生自体がロリータを調べた時に大変だった経験や、時期的に遅いという理由でもう駄目だと決め付けられているのだろう。
そんな中でも私は割とのんびりしているように見えるのか、尚更、先生に、ぬかに釘、のような印象を持たれているようだ。
心配症で慎重、過小評価しがちな私の性格を、他の先生達を通して耳にしている学科長はこの状況を心配してくれていると思う。私一人がこんな目にあっているから。
論文や各試験に関しては、担当教官の意思次第という事も分かっていて任せているので、直接的に何かすることはないけれど、遠巻きながら目をかけてくれてはいるのかもしれないと感じる。
普段は自分で自覚していないけれど、割とセンチメンタルになっているのかも。
先週の、パタンナーの先生で今はファッション画も教えているO先生の授業中。様子を見に回ってきたO先生が、まだ中途半端な私の冬休みのファッション画の宿題をチラッと見て、『いいね。』と小声で褒めてくれた。恐らくお世辞だったのだろうけど、全然冬休みの宿題に手が回っていなかったからついでに、『あの、宿題殆どやれなかったのですが。時間がなくて。』と言うと、『心配するな。後でやればいい。(君の状況は)分かるから。』とニコッと笑って言ってくれた。
家では、私の論文のイタリア語を意訳してもらうのを夫に手伝ってもらっているけれど(担当教官に言われて)、巧く訳せていないせいか全く正反対に解釈されたり、イタリア語での専門用語が分からずその件で議論になったり、仕事で疲れているせいもあるのだと思うけれど、毎日、喧嘩になってしまう。上の子が多少反抗期を迎えていたり、下の子の面倒に手が回らなかったりしている。アカデミーでは、担当教官に私の3月の学位取得は無理だと宣言されて?いて、睡眠不足や疲れもあって、自覚はなかったけれど多少気持ちが下がっているのかもしれない。
O先生は、割とオープンで偏見がない。私がかなり歳上だからか、『元旦に母親が入院してねえ。。。』なぞと、たまに意見が異なる事はあれど、プライベートな事もちらりと話してくる穏やかで気さくな人だ。
ただの御愛嬌だったのだと思うけど、O先生の何気ない一言。なんだかホロリと来てしまった。
会うなり、『あなたは本当に3月に学位を取る必要があるの?』と数回訊いた。
私としては、『もちろん。』と答えたい所だったが、現時点の段階では無理かもしれない可能性もあるので『そういう理由がある、と言うわけではありませんが。』と答えるしかなかった。
後で、話を知っている日本オタクの子が、
『基礎過程の学位がとれないと、専門課程の試験は受けられないよ。専門課程放棄するの?』
と訊いてきた。私もそれを心配している。でないと、専門課程をもう一度、一からやり直しになるかもしれない。当然、現在、専門課程として通っている学費は、基礎課程をもう一年繰り返したという意味で、基礎課程分として支払うことになる。
論文の担当教官が他の生徒や先生達の前で繰り返すので、昨日はファションデザイン科の学科長も心配しているようだった。
学科長が一番アカデミーの事はわかっているから。
他の生徒達は穏やかな先生について、今、論文書きに集中できているというのに、この先生はなぜもこうヒステリックなのか。心配しているんだろうなと思うし、責任感も強いのだろうけど、生徒のやる気を削ぐような事は謹んで欲しい。そもそも、あまり私の指導教官を引き受けるのは気がすすまなかったのかもしれない。そんな気がする。
極東にある国で日本の事がよくわからないせいもあるだろうし、言葉の壁の問題もあるし、先生自体がロリータを調べた時に大変だった経験や、時期的に遅いという理由でもう駄目だと決め付けられているのだろう。
そんな中でも私は割とのんびりしているように見えるのか、尚更、先生に、ぬかに釘、のような印象を持たれているようだ。
心配症で慎重、過小評価しがちな私の性格を、他の先生達を通して耳にしている学科長はこの状況を心配してくれていると思う。私一人がこんな目にあっているから。
論文や各試験に関しては、担当教官の意思次第という事も分かっていて任せているので、直接的に何かすることはないけれど、遠巻きながら目をかけてくれてはいるのかもしれないと感じる。
普段は自分で自覚していないけれど、割とセンチメンタルになっているのかも。
先週の、パタンナーの先生で今はファッション画も教えているO先生の授業中。様子を見に回ってきたO先生が、まだ中途半端な私の冬休みのファッション画の宿題をチラッと見て、『いいね。』と小声で褒めてくれた。恐らくお世辞だったのだろうけど、全然冬休みの宿題に手が回っていなかったからついでに、『あの、宿題殆どやれなかったのですが。時間がなくて。』と言うと、『心配するな。後でやればいい。(君の状況は)分かるから。』とニコッと笑って言ってくれた。
家では、私の論文のイタリア語を意訳してもらうのを夫に手伝ってもらっているけれど(担当教官に言われて)、巧く訳せていないせいか全く正反対に解釈されたり、イタリア語での専門用語が分からずその件で議論になったり、仕事で疲れているせいもあるのだと思うけれど、毎日、喧嘩になってしまう。上の子が多少反抗期を迎えていたり、下の子の面倒に手が回らなかったりしている。アカデミーでは、担当教官に私の3月の学位取得は無理だと宣言されて?いて、睡眠不足や疲れもあって、自覚はなかったけれど多少気持ちが下がっているのかもしれない。
O先生は、割とオープンで偏見がない。私がかなり歳上だからか、『元旦に母親が入院してねえ。。。』なぞと、たまに意見が異なる事はあれど、プライベートな事もちらりと話してくる穏やかで気さくな人だ。
ただの御愛嬌だったのだと思うけど、O先生の何気ない一言。なんだかホロリと来てしまった。
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