一年間、アカデミーでの授業を保留にしていたC先生が辞めた。
C先生は面倒見がよかった。
アカデミーへ行き始めたばかりの頃、イタリア語の授業が殆ど解らず苦労をしていた私を気の毒に感じたのか、質問をしに行く私に、専門用語ではなく易しい言葉で言い換えながら教えてくれた人だった。
その姿が一生懸命で、こんな一外国人に親切な人だな、とこちらが感動したことを覚えている。
イタリアの大学に入って、とにかく私は授業についていくために必死だったのだが、恐らく私の熱心さを逆に不憫に思ったのかもしれない。
絵とデザインの授業については、ほんの4ヶ月位だったが、特に絵の授業については学ぶ所が大きかった。
画材の水性マーカーに水性色鉛筆を使った色の上塗りの方法や、水性マーカーだけでの陰影のつけ方。光と影の成り立ち。
陰影の話は授業の至る所で触れていたが、参考図書のなかに谷崎潤一郎の(イタリア語訳)『光と影』(邦名は別。)も挙げていて、日本語でも読んだ事のない私にはどんな内容だか見当もつかないが、『品格を感じる。』とコメントしていた時もあったし、参考アニメとしてはその当時は日本の『もののけ姫』を推薦していて、『絵の技術は変わらないけど、ストーリーの発想がこちらにはなく興味深い。』とコメントしていたことがあり驚いた記憶がある。
(その当時、私は中国人と思われていたようだった。)
ただ、それまでアートの分野に居た事のない私のアイディアが先生にとっては奇想天外だったり、言葉の不理解による授業内容の捉え違い、先生の繊細で完璧主義の気質など、意思の疎通がままならない事を面倒に感じたのか、質問メールを出しても無視されたり、私を遠ざけるようになって行った。
デザインの面では箸にも棒にもかからない当時の私に愛想をつかされかけていた事が、私には焦りのために苛立ちの原因となったし、それでも質問をしに行く私にYESを出せない完璧主義の先生は苦手意識を持ったのか、授業を3回連続で休講にしたこともあった。
正直で思ったことを率直に言う人だったので、他の生徒に『○○(私)のような事はするなよ。』なぞと私の前で言い聞かせているのを聞いて、繊細な自分は落ち込んでしまったこともあったし、ダメでも毎回質問にいく私に生意気さを感じてもいたのか?私のスケッチを見て見下ろすようにせせら笑いをされて悔しく感じたこともあり、自分の中になんとなく反抗心みたいなものが芽生え始めてしまったかもしれない。
イタリア人が私の様な状況に陥れば大抵は、そこを辞めるか、試験で最低点をとるか、試験に通らなければ流れに任せて試験を先送りにしてそのうち他の人に助けてもらうかだろうが、そうでなかった私に先生は多少なりとも驚いただろうし、同時に敵対心(ライバル意識)も持ったように思う。
意見が合わない時は、周りに他の生徒がいても大喧嘩。
大抵は、先生の方が先に切れて私に突っかかってきて、売られた喧嘩にこちらも反論した事もあった。
結局は、先生の言う様に私が従ったが、試験の時に要求されていなかった自分の創作物のプロセスを50枚ほどのレポートにまとめ、そこに自分のプロジェクトに関する考え方や先生のと別案を書いて、それを読んでもらったので少しは私の考えも理解してくれたかもしれない。
色々あったが、最終的に私に残る疑問点は、先生は私の個性を認めていない、認められなかった、認めたくない・・・?のかもしれない。
それは、先生の負けず嫌いな性格ゆえなのかもしれないし、確かに自分がまだまだ未熟なせいもあると思う。
この分野は絵で考えを表現していかなかればならないので、最近、絵の練習をしなければならないと考えていた矢先だった。
今、技術画では代行の先生しかアカデミーに残っていない。
試験の時の私の態度の悪さがC先生を傷つけてしまったこと?は以前書いたが、『もう自分で勝手にやれ。』という事なのかもしれない。
私は絵の先生を失った。
C先生は面倒見がよかった。
アカデミーへ行き始めたばかりの頃、イタリア語の授業が殆ど解らず苦労をしていた私を気の毒に感じたのか、質問をしに行く私に、専門用語ではなく易しい言葉で言い換えながら教えてくれた人だった。
その姿が一生懸命で、こんな一外国人に親切な人だな、とこちらが感動したことを覚えている。
イタリアの大学に入って、とにかく私は授業についていくために必死だったのだが、恐らく私の熱心さを逆に不憫に思ったのかもしれない。
絵とデザインの授業については、ほんの4ヶ月位だったが、特に絵の授業については学ぶ所が大きかった。
画材の水性マーカーに水性色鉛筆を使った色の上塗りの方法や、水性マーカーだけでの陰影のつけ方。光と影の成り立ち。
陰影の話は授業の至る所で触れていたが、参考図書のなかに谷崎潤一郎の(イタリア語訳)『光と影』(邦名は別。)も挙げていて、日本語でも読んだ事のない私にはどんな内容だか見当もつかないが、『品格を感じる。』とコメントしていた時もあったし、参考アニメとしてはその当時は日本の『もののけ姫』を推薦していて、『絵の技術は変わらないけど、ストーリーの発想がこちらにはなく興味深い。』とコメントしていたことがあり驚いた記憶がある。
(その当時、私は中国人と思われていたようだった。)
ただ、それまでアートの分野に居た事のない私のアイディアが先生にとっては奇想天外だったり、言葉の不理解による授業内容の捉え違い、先生の繊細で完璧主義の気質など、意思の疎通がままならない事を面倒に感じたのか、質問メールを出しても無視されたり、私を遠ざけるようになって行った。
デザインの面では箸にも棒にもかからない当時の私に愛想をつかされかけていた事が、私には焦りのために苛立ちの原因となったし、それでも質問をしに行く私にYESを出せない完璧主義の先生は苦手意識を持ったのか、授業を3回連続で休講にしたこともあった。
正直で思ったことを率直に言う人だったので、他の生徒に『○○(私)のような事はするなよ。』なぞと私の前で言い聞かせているのを聞いて、繊細な自分は落ち込んでしまったこともあったし、ダメでも毎回質問にいく私に生意気さを感じてもいたのか?私のスケッチを見て見下ろすようにせせら笑いをされて悔しく感じたこともあり、自分の中になんとなく反抗心みたいなものが芽生え始めてしまったかもしれない。
イタリア人が私の様な状況に陥れば大抵は、そこを辞めるか、試験で最低点をとるか、試験に通らなければ流れに任せて試験を先送りにしてそのうち他の人に助けてもらうかだろうが、そうでなかった私に先生は多少なりとも驚いただろうし、同時に敵対心(ライバル意識)も持ったように思う。
意見が合わない時は、周りに他の生徒がいても大喧嘩。
大抵は、先生の方が先に切れて私に突っかかってきて、売られた喧嘩にこちらも反論した事もあった。
結局は、先生の言う様に私が従ったが、試験の時に要求されていなかった自分の創作物のプロセスを50枚ほどのレポートにまとめ、そこに自分のプロジェクトに関する考え方や先生のと別案を書いて、それを読んでもらったので少しは私の考えも理解してくれたかもしれない。
色々あったが、最終的に私に残る疑問点は、先生は私の個性を認めていない、認められなかった、認めたくない・・・?のかもしれない。
それは、先生の負けず嫌いな性格ゆえなのかもしれないし、確かに自分がまだまだ未熟なせいもあると思う。
この分野は絵で考えを表現していかなかればならないので、最近、絵の練習をしなければならないと考えていた矢先だった。
今、技術画では代行の先生しかアカデミーに残っていない。
試験の時の私の態度の悪さがC先生を傷つけてしまったこと?は以前書いたが、『もう自分で勝手にやれ。』という事なのかもしれない。
私は絵の先生を失った。
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