2月4日の日記

2010年2月3日 日常
こちらに住んで13年たちますが、日々発見の毎日だと感じます。

昨日は下の娘のあるお友達が家に来ました。

その母親は社会福祉の専門家でローマ大学の付属病院に勤務していて、雑談している時にアカデミーの話をしてみたら、結構、気持ちが楽になりました。

当たり前のことなんですが、こちらの高校生は理系・文系に関わらず芸術の歴史が必修になっていて、18歳の生徒達と私のアートに対する知識の差が際立っています。そのせいか否かはわかりませんが、感性も豊かだし、外見的にも大人っぽくみえるので一緒に授業をうけていると歳の差を余り感じません(歳の差があっても、親しくなると名前で呼び合い、友達言葉で話すようになります。そのほうが親しく思われていると相手が感じるからです。)

昨日話したお母さんともアートの話をして、気持ちを切り替えられるきっかけになりました。


話は変わりますが、イタリア人のバッグ等に関する好みも日本と違うという事が徐々にわかりつつあって、長く住んでいるのに今まで気づきませんでした。
所変われば品変わる・・・ではないですが、どうやらイタリア人は自然を商品に模するのが好きみたいですね。

そう考えると、ファッションデザインの先生の『自然の写真を印刷してもって来なさい。』という言葉の意図がなんとなく分かってきます。
また、デザイン方法論の先生には、自然をモチーフしたものがいいといわれる、など。

現在苦労している『容器』のプロジェクトも、自然にある何かを取り入れるという条件もついていますが、すべてイタリア人的好みをベースに成り立っているデザインの練習(訓練)なのかなと考えると納得がいきます。

しかし、右も左も分からないと?と、遠回りしたり違う方向へ行ってしまったり、時間がかかりますね。

今までの自分の理解はピントがずれていたのかもしれないなと思いました。
娘の友達のお母さんの、『イタリア語は、ひとつの言葉に2重の意味があるしね(同一言葉で良い意味と悪い意味の両方があったり、同じ言葉が使われる状況によって全く異なる意味をもつ。)』という言葉になんとなく救われた気がしました。
明日、ファッションデザインの先生と話す機会が、もし、あったら(もう私は先生に呆れられてしまっているようです。メールの返信もしてもらえていません。)、外国人の自分にとってはその『2重の意味』をもつ微妙なニュアンスの違いを理解するのは難しいから授業内容を違う意味で理解している場合がある、と正直に話してみようかと思います。

ところで、『ピントがずれている』という日本語の表現をこちらでは、『脳にネジがちゃんとはまっていない。』と言うのだそうです。それは、私のことです(笑)。

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