10月21日

2008年10月21日 日常
今日は久しぶりにとても悲しい気持ち(笑)になりました。

最近、日本の今日の文化的な話やハイテク関係に全くついて行けていない自分に気が付いて、色々な事から取り残されているような気がしたからです。

日本の話を聞いていると、技術の進歩とインフラが相互に対応しながら進んでいっているように思えるのですが、方やこちらは遺跡の国なので、技術が進歩しそれを民間の生活に還元するためのインフラ工事などはなかなか進まないし進められません。

イタリアは確かに歴史の長い石の文化の国で、ヨーロッパの他国を見てもイタリアほどの古い面影を実際に遺跡等として残す所はなく、また残している国にある古い物は古代ローマが築いたものです。イタリアより古い物となるとエジプトやギリシャ・パレスチナ、そして恐らく過去のメソポタミア文明の地域だったイラク、後にシルクロードと命名された周辺地域、インド・中国だろうと思いますが、考えてみるとイタリア程とは言わなくとも一国としての歴史を考えた場合、日本も決して浅いわけではないのにも関わらず、日本のインフラと技術の相互進歩は、それが日本人が古人の築いたものよりもより新しくてより便利な物を許容する土壌があるからで、その点においてはイタリアは遺跡の宝庫であるゆえインフラがなかなか進まない事情は理解できます。そしてあたかも、親の偉業に子が超えられないでいるかのように、前を向いて歩かず他と歩調を合わせず日和見主義的なこのイタリアという国にでさえ、最近の自分は付いていけていない様な気がしたのです。

そういう社会の仕組みの枠の中に入れない自分=疎外感というのか、他人との会話の中での温度差を感じている自分、特に日本の人達とのコミュニケーションがとれない自分は一体何なんだろうな?と疑問を持ってしまったわけです。なんだかもう日本人と交流する事は不可能なレベルに陥っていて、自分が日本人だというのも間違い。では自分は一体『何人』で何をしているのだろうか。イタリア人になるしかないのかなとかと考えてみると、ここにいる自分はイタリア人気質からは程遠いことに気づいて自分が中途半端であることを感じて尚、落ち込んでしまうのです。

自分は日本人だという思い入れが幻想だったのではないかという気がして、それが自分を悲しくさせているのかもしれません。

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