ナポリ料理

2008年10月6日 日常
ジローラモさんと奥様の書いたイタリア料理の本をたまたま読んでいた。

タイトルに、『クォチェンノ・マニャンノ』と出ていて笑って(驚いて)しまいました。

これはわざわざこういうタイトルをつけた訳なのですが、ナポリの方言ですね。

普通、イタリア人にも分かりません(笑)。

どういう意味なのかなと思って本を開いたら、『クチナンド・マンジャンド』が正解。

『マニャンノ』とは私の住んでいる地域でも使われますが、こちらでは方言を使って話すのはある意味お下品にもなる(お里が知れる)ので、私の様な外国人が話す場合は標準語を話した方が無難です。

この本は、敢えてジローラモさんの故郷のナポリ料理がメインの料理の本なので親しみを持たせる意味でこういうタイトルを付けたと思われます。

『料理しながら食べる』という意味です。

ところで、その本の中で奥様の貴久子さんが、『ナポリのお母さん(義母)が作る料理は、毎日食べても飽きないものばかりで、ご飯のおかずにしてもぴったり合ってしまいそうなものがいっぱいありました。ナポリ人の味覚は、日本人によく合うものだと思います。』

と書いていられるのを読んで、実に共感してしまいました。

そして、ジローラモさんが日本で成功できたのも、彼がナポリ出身だからなのかなという気がしました。

南の人に見られる陽気で人懐っこい雰囲気と、日本人の口にあうナポリ料理、と日本人に受ける要素を持ち併せていたから。

ナポリの人達は魚介類を良く食べるし、トマトやハーブ、オリーブオイルで仕上げる、素材の味を生かした料理が多いからです。

私の亡くなった義母は料理が本当に上手な人だった。娘に料理を教えていたが、娘よりも母の方が断然美味しい。

結婚した当初は、夫の親戚の好奇心から良く、『どんな物を作っているの?今度、皆の分を作って頂戴。』とか『披露してみせて。』等と言われて、イタリア料理、いや、夫の故郷の料理や親戚達の好みを知らない私は皆に披露しては彼らの好みの難しさに良く泣かされたものです。
ただ亡くなった義母だけは、とてもイタリア料理とは言えないヘンテコな私の料理に対し、何故だったのか理解?(同情?)を示してくれた事を覚えています。

振り返ってみると、料理もただレシピを耳から聞いて出来るものではなく、何度も何度も失敗を繰り返しているうちにだんだんとコツがつかめて来たようです。

イタリア在住経験のある日本人が書いた料理の本は、普通だったら気にも留めずに読み流してしまう文章の中に、料理する際のポイントやコツなどがさらりと書いてあったりするので貴重ですし、同じ在留者としては著者達の工夫や奮闘が伝わって来るようです。

さて、料理にかけては他の追随を許さない義母の料理、そしてそれを食べて育った親戚達をどうやって納得させる料理を作ったらよいのか。。。色々と本や雑誌を買ってみたものです。

そこで達した一つの結論。夫の故郷は山間の町で、オリーブオイルや肉・卵・野菜の産地である。
肉など本当に美味しいので、シンプル料理が多い。敢えて色々と混ぜる必要など全く無いので、自家製の無農薬のオリーブオイルをフライパンにひいて、そこら辺にあるローズマリーと塩で、ササッと軽く火を通して終わり。返って、こんな美味しい肉やオイルに対して、色んな物をごちゃごちゃ混ぜて肉なのか何なのか分からなくしてしまう料理は、料理の事がよくわかっていないからなのか、肉の味を知らないのか、肉の鮮度が悪いからなのか、ということなわけです。

話を戻すと、結局の所、義母の料理をどんなに真似して作ってみても、自分が超えるものを作る事はできない、という事に気がつきました。

それだけの年期と経験と、手に入る素材のすばらしさは(そのまま野放しに育てた鶏を友人関係から手に入れて、とさかの付いた頭部をトマトの水煮に入れてコトコト煮出すなんて事は出来ない)余程覚悟が無い限り一外国人には真似できない事なのだと気付いた私は、それだったら人と違った事をしようと思い、なかなか食べられない魚介に自分が飢えていたこともあって見様見真似、レシピとにらめっこで徐々に魚を調理するようになりました。

自分が幼稚園位だったころ、母が毎日の様にアーケード街に入っている個人商店に連れて行ってくれた思い出は、今のイタリアで生活している私にとても役に立っています。
八百屋さんの隣にあった魚屋さんには、壁の3面に張られた水槽があり、その下にいくつも置いてある大きなプラスチックの円柱の容器にホースで水を流し込み、ありとあらゆる魚達が泳いでいました。魚と日本人の食生活は切っても切れない関係だった事を、外国生活をするようになってから強く感じています。小さい時に料理をした事はないですが、母がしていた料理を何となく脇から覗いていた位でも記憶は残るようで、こちらで魚の良し悪しの見分け方とか(こちらは魚は一匹で置いていて、切り身は余りお目にかからない)、調理法等、不思議と覚えていて今になってそういう経験が役立っているのです。子供が小さい時に親が料理でも何でも見せておく必要性を改めて感じます。

山間の町育ちの親戚は、魚を余り食しないせいか魚の扱いを殆ど知りません。そのせいか、私の作る魚料理を結構、楽しみにしてくれているようです。
特に新しくできたシチリア人の親戚は(彼らが良く魚介を食べるせいか)、私の魚料理を食べに家に来てくれている様でそれは嬉しいのですが、もし義母がまだ生きてくれていたら、一緒に味見してもらえたのになと思う時があります。そして、これからは海側出身の人達から魚料理を覚えたいと考えているところです。

ところで、ジローラモさんと奥様の共著の料理の本、なかなか良いですよ。
簡単に出来ますし、日本の方の口にもあうと思います。

私もいつも作るばかりではなく、本当はたまには作ってもらう側になりたいものです。

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