1月18日の日記

2008年1月18日
昨日、子供を学校へ迎えに行った時の事。
(こちらは、小学生の学校への送迎が義務付けられている。)

私の前にいた、普段余り話をしない同じクラスのある母親が、めずらしく、
「どう?」
と声をかけてきた。

「いいわよ。」と答えると、
「私はよくないの。」と言う。

こちらの人達は、体調が悪い時や悪い事が起こると、「よくない。」と正直に表現する。
日本にいる時は、具合が悪くとも、悪い事があっても、「よくない。」と言えずに遠慮をしていた所が自分にもあったが、自分が体調なり、仕事なり、家庭なり、余り上手く回っていない時に本当の事を言うのを遠慮して、「大丈夫。」と答えてしまうのは良くない。
そういう時は素直に、「よくない。」と答えた方が相手が気を遣ってくれる。

「どうしたの?」と訊くと、御主人が一ヶ月前から仕事がなくてと言う。
「息子に何か食べさせてやらなければならないのだけど。。。」

それは、お金があるかと私に訊いているのか、何か食べるものを持っているかと訊いているのか、一瞬、頭の中が混乱した。

そのうち、どこかへ行ってしまった息子を探しに行ってしまったので、その話は中断した。

それを聞いて、私は予定になかった近くのスーパーへ急きょ買い物に。

次の日学校のおやつの時間に渡すお菓子をいくつか購入した。

今朝は、パニーニを、娘とその子の分と二つ作った。

後で夫にその事を話すと、「自分にも10ユーロあるか訊いて来た。」と答えた。

昔は、語学学校が街の中心街にあったので、よく繁華街を通ったが、駅を出た所に両腕のない男性が、紙コップを前に置いて座り込んだりしているのを良く目にしたものである。

今でも車で交差点待ちをしていると、片腕のない男性が紙コップを持って各車に近づいて恵んでもらっている姿を目にする時がある。

昨日書いた日記の様に、たとえ政治家を揶揄した所で、所詮、彼らは特権階級の人達。痛くも痒くもない。政治家達も、親の家業が政治家で、親戚も息子も娘も政治家。そういう一部の特権階級の人達が利権を握っていて離さないのも、この国の一面だろうと感じる。

そして、失業者への行政からの援助も、物事の回転が遅いこの国は受理できるまでに時間を要する。

片や、本当に困っている人達が人前に出て物乞いに近い行動をできるのは背景にキリスト教があるから、つまり『弱者に鞭を打たない』文化的背景があるからだと思う。

残念ながら、この点では日本はイタリアより精神的に遅れているのかもしれない。

日本や(アメリカで)、路上生活者に暴行を加える中学生の存在がある事をニュースで耳にする度に、一部の若者たちの精神的な堕落を感じざるを得ない。

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