バージニアの
2007年4月20日銃殺事件の捜査は、犯人の自殺をもって終盤に向かい、事件の全貌の解明に向けて犯人の心理分析・今後、遺族へのケア等残された課題にシフトするのでしょうが。。。個人的には、結構、考えさせられました。
私もおばさんと言われる域に達したのでもうかなり前の話になるが、弟のアメリカ留学時の事がオーバーラップして、人事とは思えなかった。
彼の卒業式に出席した時、弟自身もチョ容疑者と同じ様な事をもらしたのだ。
『周りの人間が羨ましかった。金持ちで、いい車に乗って、女にもてて。。。』
『でもさ、羨ましがるのは止めたんだ。どんなに他人を羨ましがっても自分は幸せにはなれない。だから、自分は勉強するしかないと思った。』
と言っていた事が思い出される。
犯罪は、恐らく、色々な要因が重なって起きるのだろう。
いわゆる、普通だったら、弟の様に考えるだろうと思う。
容疑者は、何か精神的に患っていた様にも思えるし、彼の育った環境にも、被害者意識を持たせるような要因は無かっただろうかとも思う。
(厳しい事を言えば、被害者意識という考え方も最終的には本人次第になるのだが。)
又、周囲の対応にも多少、疑問が残る。
他人のプライベートに介入しないのが、アメリカでは徹底されているからか、周囲が薄々と彼の異常さに気付いていながらも、適切に対処されず、見過ごされていた様にも思える。そこに、アジア系人間への偏見も加わっていたかもしれない。
しかし、チョ容疑者は、わざわざこんな大それた事件を起こすまでもなかったと個人的には思えてならない。
金持ちじゃないと本人は思っていたが、お金がなければアメリカで大学などへは行けなかっただろうし、4年に在籍していたから卒業まで後わずかだっただろうに。これから、自分次第で幸せになれる可能性はあったのに。
不特定多数の人間を巻き込んで、自分の人生をも台無しにし、残された自分の家族へも生涯苦汁を舐めさせるような結果を残してしまう必要など本当なら何もなかったのではないかと思う。
弟の言葉を借りて、敢えて自分が言うなら、
『結局、自分の中の他人を羨ましがる気持ちに自分が負けたんだ。』
という事件だった。。。様で、容疑者の姿が昔の弟の姿に重なり同情してしまう気持ちも併せて、とても人事とは思えず、とても残念に思えてならない。
私もおばさんと言われる域に達したのでもうかなり前の話になるが、弟のアメリカ留学時の事がオーバーラップして、人事とは思えなかった。
彼の卒業式に出席した時、弟自身もチョ容疑者と同じ様な事をもらしたのだ。
『周りの人間が羨ましかった。金持ちで、いい車に乗って、女にもてて。。。』
『でもさ、羨ましがるのは止めたんだ。どんなに他人を羨ましがっても自分は幸せにはなれない。だから、自分は勉強するしかないと思った。』
と言っていた事が思い出される。
犯罪は、恐らく、色々な要因が重なって起きるのだろう。
いわゆる、普通だったら、弟の様に考えるだろうと思う。
容疑者は、何か精神的に患っていた様にも思えるし、彼の育った環境にも、被害者意識を持たせるような要因は無かっただろうかとも思う。
(厳しい事を言えば、被害者意識という考え方も最終的には本人次第になるのだが。)
又、周囲の対応にも多少、疑問が残る。
他人のプライベートに介入しないのが、アメリカでは徹底されているからか、周囲が薄々と彼の異常さに気付いていながらも、適切に対処されず、見過ごされていた様にも思える。そこに、アジア系人間への偏見も加わっていたかもしれない。
しかし、チョ容疑者は、わざわざこんな大それた事件を起こすまでもなかったと個人的には思えてならない。
金持ちじゃないと本人は思っていたが、お金がなければアメリカで大学などへは行けなかっただろうし、4年に在籍していたから卒業まで後わずかだっただろうに。これから、自分次第で幸せになれる可能性はあったのに。
不特定多数の人間を巻き込んで、自分の人生をも台無しにし、残された自分の家族へも生涯苦汁を舐めさせるような結果を残してしまう必要など本当なら何もなかったのではないかと思う。
弟の言葉を借りて、敢えて自分が言うなら、
『結局、自分の中の他人を羨ましがる気持ちに自分が負けたんだ。』
という事件だった。。。様で、容疑者の姿が昔の弟の姿に重なり同情してしまう気持ちも併せて、とても人事とは思えず、とても残念に思えてならない。
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