書評
2007年1月18日特別攻撃隊 究極の軍事行動を見つめ直す
[掲載]2007年01月14日
[評者]米原範彦
「特攻」の文字をタイトルに配した本の刊行・復刊が相次いでいる。時に「神風」作戦とも呼ばれ、自死を引き換えにした究極の軍事行動を取る「特別攻撃隊」を、かつて旧陸海両軍が有した。第2次大戦から半世紀を超え、薄れる記憶を歴史にとどめようとする著・編者の熱意と、大小の戦争が世界をおおい、それが日本にとって無縁のものではない昨今の状況を映しているようだ。
特攻した側に光を当てたのが、神坂次郎著『特攻——若者たちへの鎮魂歌』と『特攻 最後の証言』。死を突きつけられ、勇んだり拒んだり、大きく揺れる声が聞こえてくる。一方、特攻を命じた側に迫ったのが森史朗著『特攻とは何か』、草柳大蔵著『特攻の思想』だ。いずれからも、戦争の非情を描く記述の端々に当事者の清新な姿が浮かび上がる。
私事ながら、学生時代に帰郷した際、山口県周南市の回天記念館に行った時のことを思い出した。人間魚雷・回天に乗り込んだ青年らの遺書に「大義」のために肉親に別れを告げる印象的な言葉があった。
『「特攻」と日本人』(講談社現代新書)の著者でノンフィクション作家の保阪正康氏は「特攻は愚かで誤った作戦」と前置きして、こう話した。
「私も遺書には涙が出る。しかし、何度も読むうち涙は消え、特攻した青年たちが置かれていた時代状況、矛盾した心理が透けて見えてくる。特攻戦没者は犬死に者でも、英霊でもない。そこにメスを入れるべきだ。我々の多くは、否定形、肯定形を問わず特攻的な精神構造を持っているのではないか。自立した市民意識を持っていないからかもしれない」
散る様の潔さを好む日本人は多い。歌舞伎や文楽の「仮名手本忠臣蔵」などを見ても感動する。
涙を流した後、そこからが難しい。
[掲載]2007年01月14日
[評者]米原範彦
「特攻」の文字をタイトルに配した本の刊行・復刊が相次いでいる。時に「神風」作戦とも呼ばれ、自死を引き換えにした究極の軍事行動を取る「特別攻撃隊」を、かつて旧陸海両軍が有した。第2次大戦から半世紀を超え、薄れる記憶を歴史にとどめようとする著・編者の熱意と、大小の戦争が世界をおおい、それが日本にとって無縁のものではない昨今の状況を映しているようだ。
特攻した側に光を当てたのが、神坂次郎著『特攻——若者たちへの鎮魂歌』と『特攻 最後の証言』。死を突きつけられ、勇んだり拒んだり、大きく揺れる声が聞こえてくる。一方、特攻を命じた側に迫ったのが森史朗著『特攻とは何か』、草柳大蔵著『特攻の思想』だ。いずれからも、戦争の非情を描く記述の端々に当事者の清新な姿が浮かび上がる。
私事ながら、学生時代に帰郷した際、山口県周南市の回天記念館に行った時のことを思い出した。人間魚雷・回天に乗り込んだ青年らの遺書に「大義」のために肉親に別れを告げる印象的な言葉があった。
『「特攻」と日本人』(講談社現代新書)の著者でノンフィクション作家の保阪正康氏は「特攻は愚かで誤った作戦」と前置きして、こう話した。
「私も遺書には涙が出る。しかし、何度も読むうち涙は消え、特攻した青年たちが置かれていた時代状況、矛盾した心理が透けて見えてくる。特攻戦没者は犬死に者でも、英霊でもない。そこにメスを入れるべきだ。我々の多くは、否定形、肯定形を問わず特攻的な精神構造を持っているのではないか。自立した市民意識を持っていないからかもしれない」
散る様の潔さを好む日本人は多い。歌舞伎や文楽の「仮名手本忠臣蔵」などを見ても感動する。
涙を流した後、そこからが難しい。
コメント